2006.01.01

あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。

 昨年もなんとか乗り切り、フリーライターをやっています。昨年は、「男女七人ネット心中」「[ケータイ・ネット]を駆使する子ども、不安な大人」児童書「気をつけよう!ネット中毒」1巻、同2巻の計4冊を出版できました。ずべてインターネット・コミュニケーションに関連する書籍でした。また、テレビでもETV特集に出演するなど露出する機会がありました。雑誌は通常通りの仕事でしたが、日経BPのwebで執筆する経験ができました。講演会でも、高齢者を相手に出会い系サイトの話ができて、新鮮な出来事でした。

 今年もいくつかの書籍が決まっていて、なんとかメドが立っていますが、出版されるまでどうなるかが分からないのがこの業界の慣例。だから、明日はどうなるか分からない状況は今年も続きます。不安だらけなイメージですが、そうした不安を背負って、企画が生まれるので、不安を背負うことの善し悪しはありますね。とはいつつ、16日には児童書「気をつけよう!ネット中毒」の3巻目が出版予定です。

 年末年始で読んだ本は「フーコー入門」(中山元著、ちくま新書)「ドゥルーズの哲学」(小泉義之著、講談社学術文庫)。昨年知り合ったマイミク(mixiつながりの友人)とmixi内で「フーコーを読む」というコミュニティを作って、フーコーの言説を生活の中で振り返る読み合わせなどをしています。その会話の中で出てきたドゥルーズについても読んでみました。フーコーは自分自身の言説まで否定的に考える柔軟さの持ち主なのですが、はなかなか真似できません。

 さて、今年はどんな出会いがあるでしょうか。私の仕事は出会いによって変化していくのです。それによってでしか、変化しないといっても過言ではないでしょう。仕事は生活に余裕ができるくらいはやりたいです。一方、仕事に追われすぎる生活も本末転倒なので、そのバランスが必要ですね。昨年もいろいろな人との出会いが、思考を柔軟にさせ、行動の範囲を変え、読書の範囲を広げて行きました。どんな出会いが待ち受けているのか楽しみにです。


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2005.08.05

ヒロシマと私

 私が「ヒロシマ」を強く意識し始めたのは、90年だった。
 サークルの先輩たちと、戦後45年ということで、夏休みにヒロシマとナガサキに行ったのだ。行く前の「朝まで生テレビ」で、在日韓国人の慰霊碑が平和公園の外にあることを知った。
 私はその夏、先輩たちと別のルートでヒロシマに向かっていた。そして、平和公園で待ち合わせをしたのだが、会えなかった。そのため、まず在日韓国人の慰霊碑を探した。そして、「在日韓国人のものがあるのなら、在日朝鮮人のものもあるだろう」と思い、探すと、「慰霊碑」はなかった。
 「あのー、在日朝鮮人の慰霊碑ってないんですか?」
 私は公園内を掃除している高齢の女性に聞いてみた。すると、その女性も知らなかった。しかし、一緒に探してくれて、「慰霊碑」はなかったが、「帰国記念時計台」を見つけることができた。お礼を言い、世間話をしていると、その女性が被爆者だといういことを知った。そして、その女性だけでなく、公園内を掃除している人のほとんどが被爆者だということを教えてくれた。そして、他の人も呼んでくれて、被爆体験を聞いた。その後も、いろいろな戦争体験を聞いたが、そのときのエピソードは今でも忘れられない。

 翌年、大学の平和運動の人たちとヒロシマに行った。いわゆる左翼運動でもあったために、わたしたちは公安にマークされていた。マークされるのはそのときが初めてではない。昭和天皇の大嘗祭反対デモに参加したときも、その後、湾岸戦争が起きたときのデモに参加したときも、公安にマークされた。
 そのとき、いろいろなイベントをやったが、一番思い出すのは、原爆ドームを人間の鎖で囲むことだった。私たちの参加者だけでは囲めないため、一般の参加者を巻き込まないと達成できない。私はその担当だった。囲めたときにはすごい感動した。人に働きかければ実現するものがあることを知った(といっても、大きな運動から見れば小さなものだが)。

 95年。私は新聞記者だった。支局で戦後50年の企画をしようということとなり、私は、支局の範囲での「朝鮮人・中国人の強制連行」をすることを提案した。他の人もそれぞれ企画を立てたが、実現したのは私のものだけだった。長野県の木曽谷。北海道についで、2番目に多い強制連行の人数だった長野県。そのなかで最も多いのが木曽谷だった。
 取材を続けていて、当事者に話を聞きたいと願っていたが、その願いがかったのは数年後。取材で知り合っていた強制連行の調査団と一緒に中国に行けたのだ。当事者たちは涙ながらに、体験を話してくれた。そして、「悪いのは、日本人民ではなく、政府だ」と言っていた(本音なのかは分からない。円借款問題があったために、共産党員にマークされていて、本音を言えたかどうかはわからない)。
 ただ、、強制連行された場所で、当時の話を聞きたいな。そのほうがリアルだとも思っていた。それが数年後実現する。そのときはすでに新聞記者を辞めていて、フリーになっていた。企画のときから協力してくれた高校の歴史の先生と一緒に、現地を案内した。そして、その当事者たちは裁判を起す。

 しかし、今年は戦後企画のようなものには携わっていない。

(mixiの日記より転載)

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