2006.02.10

神奈川県の女子生徒の間では、リストカット経験者が14.3%

 毎日新聞によると、神奈川県の女子生徒の14.3%が自傷行為を経験していたことがわかりました。これは、国立精神・神経センター精神保健研究所の松本俊彦医師らのグループの調査で、神奈川県内の私立女子高(1校)の2年生126人と、公立中学校(同)の2、3年生477人を対象に04年に行ったものです。

 それによると、14.3%の女子高生が自傷行為を経験しています。これは、東海女子大の調査での13人に1人、約7%よりも多い数字となっています。中学生でも女子で9.3%、男子でも8%となっています。女子高生への調査が「私立」だけなので、偏った数字と見てよいと思います。私の取材でも、リストカットをしている女子高生は「私立」が多いのです。
 なぜそうなるのかは、私なりの仮説があります。それは、「私立」の方が、「公立」よりも同じような階層、文化的資本の中で生きていることが影響しているのではないでしょうか。「生きづらさ」を抱えたときに、SOSを発する手段として、「見える身体」の操作があります。それは人によってはダイエットであるし、過度なスポーツだったりします。それらのひとつに「身体」を傷つける行為も含まれます。
 また、同じような環境にいる場合、「個性化」をしなければ、注目を浴びません。注目を浴びる手段のひとつとして、「身体」を傷つける行為はあるのでしょう。さらに都市型で、経済的な中間層が多く、郊外型の「私立」の場合は、いわゆる社会的な逸脱行動に出ることは勇気のいることで、なかなかできません。そうするときに、SOS=アクティングアウトを「外」ではなく、「内」に向けることがあります。さらに、特に、女性は「見た目」=「身体」によって評価されることが多いことでしょう。

 記事では、中学生のみに、男子に聞いています。8.0%は正直、多いなというのが感想です。しかし、男子も「見た目」で評価されることが増えてきました。これは80年代の男性ファッション誌の登場を契機に、男性用化粧品の発売で、流れが作られます。この点は拙著「ネット心中」でもふれています。

 しかし、増えれば増えるほど、「切る」だけでは、SOSとしては弱く、さらに過激になる人たちが増えることでしょう。あるいは、切り方を変えたり、見せ方を変えて行くのです。記事では、「手首だけでなく手の甲に十文字に切るグループも現れました」との養護教諭のコメントもありますが、それが端的に示しています。「切る・切らない」という行為にだけ注目しないようにしましょう。問題は、そうした行動に出る心的な問題なのです。


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 自傷行為:「数増え相談時間ない」悩む学校 初の実態調査


 刃物で自分を傷つける「リストカット」などの自傷行為について、学校内で深刻な状況になっていることが6日、国立精神・神経センター精神保健研究所の松本俊彦医師らのグループの調査で分かった。リストカットは中高生の間で目立ち始めたといわれていたが、国内での実態調査は初めて。学校現場も対応に苦悩している。【小国綾子】

 調査は神奈川県内の私立女子高(1校)の2年生126人と、公立中学校(同)の2、3年生477人を対象に04年に行った。「これまでにナイフなどとがったもので身体を傷つけたことがあるか」などの質問に無記名で回答してもらった。

 その結果、女子高生のうち14.3%が1回以上自傷しており、10回以上が6.3%に上った。中学生でも女子生徒238人のうち9.3%、男子生徒239人のうち8.0%が刃物で自分を切ったことがあった。また、「頭やこぶしを壁などにぶつけたことがあるか」との質問には、中学、高校合わせて男子の27.7%、女子の12.2%が「ある」と答えた。

 自傷の理由については、言葉にできない孤独や不安、怒りなどの感情から逃れるためだったり、助けを求める表現などさまざまだ。

 学校現場も対応に追われている。首都圏のある公立中学校では昨年、3年生の間にリストカットが突然広まった。最初は数人だったが、その後続発し、200人足らずの3学年の中で学校が把握しているだけでも20人を超えた。何人もの生徒が次々に「切っちゃった」と保健室を訪れる事態になった。

 保健室で手当てした養護教諭は「片手で生徒の手首の手当てをしながら、もう一方の手で別の子の手を握り締めたこともありました。手首だけでなく手の甲に十文字に切るグループも現れました。誰もがみんな自分の苦しさに気付いてもらいたがっているようでした」と振り返る。

 現在、中学や高校の養護教諭たちによるリストカットの勉強会も各地で開かれるようになった。だが、「自傷者の数が増えて、一人ひとり話をじっくり聞く場所と時間を確保できない」「毎日、生徒に手首の傷を見せられると教師の側も苦しく、精神的に負担だ」「学校は家庭にどこまで踏み込めるのか」など悩みはつきない。

 「夜回り先生」で知られる元定時制高校教師、水谷修さん(49)にも自傷の相談が多数寄せられている。中には、東北地方の中学校の女子バスケットボール部では、顧問の教師が1人をしかった後、部員全員が「私のせいでしかられた」と自分を責めて自傷したこともあった。

 松本医師は「自傷による受診者の増加は医師仲間からも聞く。人間関係の苦手な子たちは身近に自傷している子を見ると、仲間意識や所属意識を感じるために切り始める面もある」と指摘。そのうえで、「『苦しいんだね』『切りたくなったら言ってね』と共感の言葉を伝え、相手にも言葉で苦しみを表現する機会を用意してやり、気持ちを受け止めてやってほしい」とアドバイスしている。

毎日新聞 2006年2月6日 15時00分

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060206k0000e040090000c.html

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2006.02.02

対談ブログ

  「リストカットシンドローム」等の著作がある、ロブ@大月氏との対談ブログ「T2R 自傷的世界を語る」を始めました。

 http://ttr.cocolog-nifty.com/

 ちなみに、このブログ自体ではコメントは受け付けません。コメントする場合は、メールか、mixiのコミュニティ「T2R」に参加してください。



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2005.01.27

「淫行処罰規定」で歯止めがかけられるのか?

東京都が、18歳未満の青少年に対する淫らな性行為を禁止する「淫行処罰規定」を設けようとしている。これまで同規定がなかったのは、都と長野県だけで、他道府県では、何らかの「淫行」を取り締まっている。都が今回テーマにしたのは、「性行動の低年齢化への歯止め」だという。私は、この条例化には賛成しかねる。
 そもそも、なぜ「性行動の低年齢化への歯止め」をしようとするのか。理由はSTD(性感染症)や中絶が10代に多いというデータがあるからであろう。STDや中絶の増加は、「性行動の低年齢化」が理由なのであろうか。
 たしかに、その面もあるだろ。しかし、これだ理由での条例化であるのならが、効果という面で考えてみれば分かるように、東京と長野以外の、条例による効果が検証されていなければならない。その効果を示した検証結果を示してから、議論すべきだ。
 STDや中絶の増加は、性感染予防や避妊方法によるものだ。低年齢化だけが問題ではない。むしろ、コンドームの装着義務のほうが現実的ではある。なんでも、条例による規制が効果的と思うのはおかしくないか。
 「性行動の低年齢化への歯止め」は、STDや中絶の増加を背景にしているが、そのSTDの中でもエイズ感染者・感染者が増えていることもあるのかもしれない。ただ、やはり、「淫行処罰規定」によって、歯止めがかかるとは思えないのだが。かえって、STDや妊娠への罪意識が重くなり、検査に行くことを躊躇させる結果を招くのではないだろうか。
 18歳未満の青少年との性行為がアンダーグラウンド化し、かえって危険な面が出てくる。表立ってできなくなる結果、その世代の青少年をマーケットとした援助交際、売買春が裏市場として確立していく危険性や、その世代がレイプされたときに、言い出しにくい環境が生まれることも出てくる。
 また、「淫らな性行為」の範囲がどこまでかが不鮮明だ。つき合っていてもダメなのか。付き合い始め、出会い方に問題を位置づけるのか。最高裁判例でも、「「淫行」とは、広く青少年に対する性行為一般をいうものと解すべきでなく、青少年を誘惑し、威迫し、欺罔し又は困惑させる等その心身の未成熟に乗じた不当な手段により行う性交又は性交類似行為のほか、青少年を単に自己の性的欲望を満足させるための対象として扱つているとしか認められないような性交又は性交類似行為をいうものと解するのが相当である」(福岡県青少年保護育成条例違反被告事件 、 昭和57年(あ)第621号、最高裁昭和60年10月23日大法廷判決)とあるが、常に分かりにくさがつきまという。


都も淫行規定、金銭授受に関係なく処罰…4月施行目標

 東京都は、都青少年健全育成条例を改正し、18歳未満の青少年に対するみだらな行為を禁止する「淫行(いんこう)処罰規定」を設ける方針を固めた。
 都はこれまで、買春などに限定した処罰規定を設けたことはあったが、青少年保護のため、今後は他県と同様、金銭授受の有無にかかわらず規制対象とすることにした。都の方針転換により、都道府県で淫行処罰規定がないのは健全育成条例自体がない長野県だけになる。
 都条例に淫行処罰規定を設けるかどうかは過去にも論議があった。知事の諮問機関の都青少年問題協議会は1988年、「性は個人的な問題で、公権力による介入はやむを得ない場合に限られるべきだ」などと答申し、条例改正が見送られた。
 その後、援助交際などが問題化し、97年の答申で買春した大人を処罰する改正が行われた。
 しかし10代女性の性感染症や妊娠中絶の増加が続いた。周辺県では条例で淫行を摘発できるのに、都内では摘発できないことに対する“不合理”を指摘する声も出ていた。
 このため、都は昨年11月、同協議会に条例改正を諮問。今回の諮問では「性行動の低年齢化への歯止め」が中心テーマとなり、大人が青少年に対し、性行動に慎重であるよう促すことを求める努力規定を条例に盛り込むとする答申内容が固まった。淫行処罰規定については、ほとんどの委員が必要性を認め、以前のような議論は再燃しなかった。
 都は、24日の答申を経て、2月開会の都議会に改正案を提出し、4月からの施行を目指す。
 施行されると、18歳未満の青少年とみだらな行為をした18歳以上の大人には、2年以下の懲役か100万円以下の罰金を科すことができるようになる。都幹部は「東京は繁華街が多いため、一定の効果は期待できる」と話している。
(読売新聞) - 1月23日9時52分更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050123-00000301-yom-soci


 「性行動の低年齢化への歯止め」は、STDや中絶の増加を背景にしているが、そのSTDの中でもエイズ感染者・感染者が増えていることもあるのかもしれない。ただ、やはり、「淫行処罰規定」によって、歯止めがかかるとは思えないのだが。

エイズ感染・患者増加、初の年間1千人超

 2004年の1年間に、新たにエイズウイルス(HIV)に感染したり、エイズを発症して患者となった人は、前年より138人増えて計1114人(速報値)に上ることが26日、厚生労働省エイズ動向委員会(委員長=吉倉広・前国立感染症研究所長)の調べで分かった。
 感染者と患者の数が合わせて1000人を超えたのは、1985年に国内1例目の患者が認定されて以来、初めて。同委員会では「異常な増え方。予防や感染防止の呼びかけを一層強化する必要がある」と警告を発している。
 同委員会によると、2004年の新規感染者は748人で、前年より108人増加。新規エイズ患者は366人で、同じく30人増えた。感染者・患者とも年々増加を続けており、04年末の時点で、累計で9784人(薬害エイズ患者を除く)となった。
 新規感染者の内訳は、男性が669人、女性が79人。男性のうち、約7割にあたる447人は同性間の性的接触によって感染したと見られるという。新たなエイズ患者は、男性が323人、女性が43人だった。
 献血時の検査で感染が判明した人は、前年より5人増えて過去最多の92人。保健所に寄せられたエイズに関する相談件数は、約1万2000件増えて約14万2000件に上った。
 感染者・患者ともに増加の一途をたどっている現状に、吉倉委員長は「性感染症は、表からは見えないネットワークで広がる側面があり、感染拡大を防ぐのは容易ではない。すぐに結果の分かる迅速検査を普及させて多くの人に検査を受けてもらうなど、早期発見・早期治療につなげなければならない」と話している。
(読売新聞) - 1月26日21時50分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050126-00000013-yom-soci

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2004.09.23

中学生はセックス禁止?

 中学生はセックスしないこと!
 東京都がこんなことを条例で規制しようとしている。いま、セックスに関する法律はどうなっているのでしょう。刑法では、13歳未満であれば、同意があっても強制わいせつ罪が成立します。ということは、13歳以上であれば、同意があればよしとする「性的自己決定権」があるわけです。
 ただ、各都道府県はさまざまな条例をつくり、未成年の性行為を制限しています。いわゆる「淫行規定」です。「淫らな性行為」を禁止したり、「買春」を禁止したりしています。なお、18未満の買春の場合は、「児童買春・児童ポルノ処罰法」の制定で、全国一律に禁止となっています。
 こうした性行為に関する規制があるにもかかわらず、さらに規制をするというのです。しかも、「中学卒業まではセックスをさせないように」と。こうした規制に意味があるとすれば、罰則を設定したときだけでしょうが、都庁内の「保護者に努力義務」という意見であれば、あまり意味をなさないでしょう。
 しかしながら、罰則があろうがなかろうが、この条例によって、委員会が考える性感染症や「望まない妊娠」が防げるのか。防げるとしたら、いかなる根拠なのか。
 たしかに、安易な性行為は、性感染症や「望まない妊娠」を増やす可能性は否定できません。しかし、その手立ては条例規制ではなく、性行為のあり方をどのように伝達すべきか、ということではないのか。「中学卒業まではセックスしない」となると、いまよりもさらに、中学段階でセックスを含めた性教育はタブー視されることでしょう。一方で、中学生の情報収集力は高まっていて、それこそ、どんな情報を得るかわからず、何が正しい情報なのかということを伝達する場でさえ、失うことになりかねない。
 都は、条例改正で有害情報規制を強化しました。今度はセックスの規制までしようとするのか。規制すれば、どんどんアンダーグラウンド化しないのか。規制だけで乗り切れると思うのは、どこからくる発想なのか。すごく疑問だ。


 中学卒業まで「性」規制を 都の委員会初会合で意見 [ 09月22日 19時54分 ]
共同通信

 東京都の「青少年の性行動について考える委員会」(座長・加藤諦三早大教授)の初会合が22日、都庁で開かれ、中学卒業まではセックスをしないよう都条例で規制すべきだとの意見が委員の1人から出された。
 都庁内には、中学生以下が安易な性行動をしないよう保護者に努力義務を課すべきだとの意見もある。委員会は性感染症や「望まない妊娠」から青少年を守るため、年内をめどに対策を提言する予定で、規制の是非が焦点の一つになる。
 冒頭、都青少年総合対策推進本部長の竹花豊副知事は「この10年で中高生の性交経験率が急増、人工妊娠中絶などの問題が看過できなくなった。大人社会の真剣な取り組みが必要だ」と述べた。
 http://www.excite.co.jp/News/society/20040922195452/Kyodo_20040922a408010s20040922195459.html


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2004.09.05

出会いが自分を変える


 毎日新聞に「記者の目」というコーナーがあります。取材記者や編集委員が個人の「目」で、取材をしたことを綴る企画記事です。9月1日は、小国綾子さんの「リストカットするあなたへ」。小国さんとは面識はありませんが、たびたび新聞紙上で名前を見て、注目している記者のひとりです。


記者の目:
リストカットするあなたへ 小国綾子

 今もリストカットを続けているあなたへ。夏休みが終わり、学校が始まりますね。久しぶりの学校で、不安な気持ちでいないか心配しています。

 あなたの思いを理解したくて、私は自傷経験のある10〜30代の20人に会ってきました。多くは若い女性です。「生きるために切ってる。何が悪い?」と言われたこともあれば「やめたい」と泣かれたこともあります。浅い傷のついた手首に包帯を巻き、言葉にならないSOSを出す人もいれば、誰にも知られないよう上腕や太ももだけを深く切り裂く人もいました。

 自傷の形はそれぞれ違っているけれど、一つだけ共通していたことがあります。リストカットは言葉にできない「心の叫び」だということ。自傷以外の方法で「叫び」を表現できるようになるまで、切らねば生きていけないのですね。

 あなたは一人ではありません。東海女子大の長谷川博一教授(臨床心理学)が2〜3年前、7大学の学生を対象にアンケートをしました。有効回答数654人のうち女子で7.6%、男子でも2.4%の人に自傷経験がありました。女子では13人に1人です。首都圏の私立中高校の養護教諭は「毎日必ず一人はリストカットした子が保健室に来る」と教えてくれました。

 切る理由は一人ひとり違います。「親がわかってくれない」と10代の少女たちは言いました。でも親に本音でぶつかったことはありません。嫌われるのが怖くて親の前では「よい子」の仮面を必死にかぶっているのです。いじめがきっかけだった子もいます。ある男子中学生は友達に「キモイ」と言われるたびカッターで手首を切っていました。心の悩みを打ち明けられる友達は一人もいない、と言いました。

 深刻なのは幼少期に親から虐待を受けた人たちです。米国の専門家は「自傷者の6〜7割が被虐待者」と説きます。実際、私の会った人の半分近くは虐待のトラウマに苦しんでいました。

 あなたはどんなときに切りますか。切ると落ち着きますか。私の出会った人たちはみな「血の色になぐさめられた」「血だけは裏切らない」と言いました。

 自傷は自殺未遂の亜種でも周囲の関心を引くための行為でもありません。爆発しそうな怒りや悲しみを一時的に抑え、感情を制御するための行動です。だからやめるのはとても難しい。

 あなたはたぶん切っても痛みを感じないでしょう。多くの人がそうです。解離という現象のためです。長い間自傷を続ければ、エスカレートしていきます。何針も縫う傷を何本もつけたり、1リットル近い血を注射器で抜いたり、皮下脂肪が焦げるまで肌を焼いたり……。以前のやりかたでは効かなくなるのです。

 寂しいから自傷する。自傷するたび、誰にも言えない秘密が増えていく。だからさらに孤独になり、また切ってしまう−−。多くの人がこの悪循環に陥って、抜け出せずにいます。

 あなたはクスリに頼ってはいませんか? 私の会った20人のうち12人までが心療内科や精神科の処方薬の大量服薬、つまり一気飲みを繰り返しています。「クスリ、飲んじゃった」という涙ながらの未明の電話を何度受けたことでしょう。

 切ることでどうにか生きていけるのなら、今は切ったっていい。少しずつ、自傷以外の方法を見つけていけばいい。でも大量服薬はやめてください。後戻りがとても難しいから。

 自傷は伝染します。米国のある研究者は自傷がよく見られる場所として刑務所と精神病院の入院病棟を挙げました。「自由を抑圧された空間で他人の自傷を目にする機会が多い」のが理由です。今のネット社会とどこか似ていませんか。

 血まみれの手首の写真がネットで公開され、あるいは携帯メールで友だちから届き、「死にます」宣言が繰り返されるネットの世界は時に危険です。見ているうちに切りたくなること、ありませんか?

 もちろん「メル友」も大切な出会いです。最初はメル友でも、カウンセラーでもいい。できるだけ多くの人と出会いを重ねてください。人との距離を取るのは難しい。誰かに思い入れ過ぎて避けられたり、裏切られることもあるでしょう。でも傷つきながら重ねる出会いの一つひとつがあなたの力になるはずです。いつか自傷に頼らず、心の叫びを言葉にできる日がきっときます。

 17歳で自傷を始め、しばらくやめられなかった私がえらそうなことは言えないけど。でも私は多くの出会いに救われました。

毎日新聞 2004年9月1日 0時11分
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20040901k0000m070166000c.html


 わたしはこうした自傷行為をしたことはありませんが、小国さんは当事者のようです。抜け出せた当事者の意見としては、参考になるでしょう。小国さんは、抜け出せたきっかけのひとつに「多くの人との出会い」をあげています。

 わたしも、自傷よりも、範囲は広いですが、「生きづらさ」から抜け出すきっかけのひとつも「多くの人との出会い」だと思っています。ただ、その際、自分と同じような人との出会いもよいですが、できるだけ異なる人と出会いのチャンスも広げてはどうでしょうか?今の自分を認めてくれる「居場所」になるような場や人間関係は、自分とは異なるタイプの人たちにも、姿を変えていると思うのです。

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2004.06.15

メディア「悪玉」論 長崎・佐世保小6同級生殺害事件に関連して

 長崎・佐世保で小学校6年の女児が同級生をカッターで殺害した。この事件では、小学生による殺人ということで、関係者のみならず、ショックを与えた。なぜ、小学生が同級生を殺害したのか?少年事件は、原則非公開のため、警察の公式発表は控え気味だ。また、付添人の弁護士の会見でも、情報が制限されている。しかし、殺害動機への疑問について、マスコミをはじめとして世の中は、それなりの「答え」を要求している。

 そこで、ひとつの「答え」の可能性になるのは、インターネットだ。事件の当事者二人を含めて同級生三人は、いずれもHPをもち、チャット仲間でもあり、オンライン、オフラインともも交流をしていたことが明らかにされている。オン/オフともコミュニケーションをしているということは、親密になる一方で、コミュニケーションが過剰になりやすい。
 今回分かっていることは、二人の間では、なんらかのトラブルがあった(それがオンが先か、オフが先かは明らかにされていない)。学校で遊んでいる最中に、加害女児が被害女児に「重い」と言われたことに腹を立てたとか、掲示板に「髪が似合わない」などの悪口を書かれたなど、「怒り」を抱くエピソードが伝えられている。
 そうした「怒り」が、特に容姿などを気にするだろう小学6年生にとっては、「ぶっころしてやりたい」などの「不確定な殺意」を抱くことはあるだろう。しかし、「こいつを殺すしかない、確実に殺す」という「確定的な殺意」にむすびつくだろうか?
 「不確定な殺意」を抱くことまでは、インターネットコミュニケーションの「負」の面を説明すれば、「ありうる」かなと思う。インターネットは、キュー(=cue、社会的手がかり)が少ない「キューレスメディア」だ。つまり、活字中心であり、その言葉を使っているときの表情、文脈、視線、間、声質などが明示されない。コミュニケーションは事実上、言葉以外でのキューが9割以上を占めると言われている。活字はコミュニケーションに必要な1割の要素もない。にもかかわらず、その言葉が中心となるコミュニケーションであるため、誤解を招きやすいし、フレーミング(言い争い)が起きやすい。結果として、「怒り」を覚え、それが「不確定な殺意」を抱くことも考えられる。
 しかし、今回は「知っている者同士」の事件であり、キューが少ないとはいいながらも、同じ学校、同じクラスでのコミュニケーションもあった。ならば、キューが少ないだけの問題ではないと考えられる。オフラインでの「仲良し」が、オンラインでも交流をしていただけであり、毎日のように顔を合わせる関係。オンラインのトラブルは、オフラインのトラブルの延長上にすぎないのではないか。

 また、疑問の答えのもうひとつの可能性が、暴力メディアの影響だ。加害少女は、「バトル・ロワイアル」「ボイス」のファンで、HPには、「バトル・ロワイアル」の私家版の小説を書いていた。また、DVDもレンタルビデオで借りていたこと、あるいは、加害少女のインターネットブラウザの「お気に入り」には、暴力サイトが登録されていたという。こうした暴力的な志向がベースにあり、しかも前日に見た殺人事件のTBSドラマをみて、殺人のヒントを得たとされている。
 たしかに、メディアの影響を考えてみると、たとえば、スーパーマンの映画をみて、自分のスーパーマンだと思い込むような短期的な影響は考えられる。しかし、その影響が発達にまで及ぶとは考えられていない。ただ、もともと暴力性を持った人が、それらのメディアをヒントにすることはありえる、とされている。
 ただ、この論を単純に考えると、「バトル・ロワイアル」のファンで、前日のドラマをみた他の暴力性を持った小学生もいたはずで、なぜ、加害少女だけが犯行に移したのか、の説明にはならない。

 わたしは、「チャット依存症候群」(教育資料出版会)を執筆しているために、さまざまな媒体から取材をうけた。コメントしていると、質問者の意図に流されつつも、全体としては、「メディアの原因は主原因ではない」との趣旨は話している(ただし、取材/執筆する側が、どの部分を抽出するかは、メディアの意図があることは言うまでもない)。ただ、自分としても、小学生のチャット利用については、同じ参加者という立場では経験があるものの、取材という形で接していたことはない。前出の拙著でも、取り上げているのは高校生以上だ。小学生については、私個人の取材経験のなさもあるが、研究者の間でも、手付かずな部分だった。その意味では、私を含め、すべてのコメントが、経験論や印象だけで述べていることになる。

 この事件は、何が原因なのか?という問題が関心の的だ。だから、極端な話では、今回はインターネットが原因、もしくは助長させたのだから、小学生からインターネットを取り上げた方がいいという主張まで出てきている。早く原因探しをし、対策を考えたいという焦りが見え隠れする。しかし、現段階で思うことは、結論を急ぐな、ということだ。ここ数日間コメントを繰り返していたが、よく考えてみると、小学生のインターネット利用については、ほとんど取材蓄積も、研究蓄積がない。未解明な部分なのだ。今後、コメントすることがあれば、それをふまえて、話をしたいと思う。

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2004.05.06

「社会の心理主義化」を問うシンポジウム

 GWは特にどこにもいくことはなかったが、目立ったものとしては、私が所属する「日本社会臨床学会」の総会&シンポジウムが、都内の立教大学で行われ、参加した。シンポジウムは「社会の心理主義化をどう問うか」と、「教育基本法『改正』になぜ反対するのか」の二つが行われた。ここでは、前者のことだけを取り上げる。

 まず、学会運営委員長の中島浩籌氏は、心理主義化(あるいは心理学化)を問題にした書籍(たとえば、小沢牧子著『「心の専門家」はいらない』(洋泉社)や斉藤環著「心理学化する社会」(PHP)など)が増えてきている現状を指摘。また不登校や精神疾患を抱えた教師のチェックリストなどの心理学的な対応が顕著に見られることを述べた。現に医療経由の不登校が増えている現場での感覚がある一方で、当事者には医者やカウンセラーへの不信感も増大しているとも。
 また大学病院心理相談員の戸恒香苗氏は、心理主義化は、ADHDやLD、アスペルガー症候群などの診断が中心になり、専門家に任せることで、人間関係の幅を狭め、医療従事者の力を落とすことにつながってくると主張。今の問題を過去のトラウマのような出来事にしばりつけることになったり、人間関係の問題が起きた時に、当事者が関係性を乗り越えるというよりも、それを回避して環境を変えることを選択しがちだということも指摘した。医療現場では、サービス体制の中で心理学が必要とされている経営側の立場もあるという。その背景には、「早く発見し、早く治療すればなんとなかる」という幻想があるとも話した。
 斉藤寛氏は、社会よりも、個人の心に注目してきた「社会の心理主義化」があり、それは「役に立たない社会科学」よりも、「役に立つ心理学」が重要視されてきている現状を説明。心理職の職域拡大によって、悩みがあれば専門家に、という風潮が漂い、ほかの選択肢(専門家以外への相談)がなかなかしめされなくなりつつあるとも述べた。また、スクールカウンセラーの導入などで「病める学校」から「健全な学校」にすることが問題解決になるのか、教育そのものがもたらす問題は心理主義で解決するのかという疑問を投げかけた。

 「社会の心理主義化」を問う場合、多くの人(学会の多数派)は心理学やカウンセリング一般を「悪玉」にし、心理学が差別選別に利用されるとか、専門家任せになりすぎるとか、心の管理主義などを問う。たしかにその面もあるだろう。ただ、カウンセリングで一時的な安心感を得られたり、「心」という言葉や「心理学」という学問が持っている吸引力に着目することも必要ではないか。
 一方、シンポジウムでは議論されなかったが、個人的な意見としては、自己語りの方法が、60年代や70年代は、主に政治との関連でなされ、80年代や90年代中盤ごろまでは新興宗教や自己啓発セミナーの中でなされ、90年代後半以降が心理学や精神医学との関連でなされることが多かったのではないか、と思っている。
 心理学や精神医学で自己語りがなされるとき、以前とどのように違うのか。政治や宗教の中で語られたときには、今の自分が「解放」されないのは、社会に原因があり、その社会を変える道具として、「政治」や「宗教」があったのではないか、と思える。しかし、その社会は一向に変わらない。デモをしても、戦争は止められないし、政府の姿勢も変化しない。そう思えたとき、自分の無力さを感じてしまう。結局は「解放」されない、生きづらい自分だけがさらされる。そうした時代の自己語りは、社会との適応関係で自分を見る。そうした時代になったのではないか。

 こうした心理主義は、権威側あるいは権力側が、社会の問題を個人の問題に帰するような、意図的な政策があるように思える。しかし一方で、診断主義を過度に求める患者側が存在している。ある病名をつけられれば安心をするという心理構造が働いている。ラベリングを自ら受入れているのだろう。
 ラベリングや心理主義を患者自ら受け入れるは、インターネットのメンタルヘルスのコミュニティーではよく見られる現象でもある。「教育基本法」関連のシンポジウムで、佐々木賢氏が話題にした「大衆ファシズム」(ヒトラーやムッソリーニひとりが虐殺をしたわけではなく、大衆が積極的に協力していた)にもよく似ている。つまり。心理主義は、権威側や権力側だけが積極的にしているわけではなく、大衆が積極的に協力している。その道具として、インターネットが使われているように思う。


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2004.04.26

出会い系の「サクラ」にはまる男 〜 「キスイヤ!」の取材を受ける

 出会い系サイトに関連するニュースといえば、殺人事件や児童買春、料金不当請求などがあるだろう。しかし、「罠」はそれだけではない。「サクラ」にはまってしまい、高額な料金を使ってしまうこともあるのだ。 

 深夜から月曜9時に移った「キスだけじゃイヤ!」(大阪読売テレビ、日本テレビ系)の取材を先日受けました。といっても、私が「ばかっぷる」として出演するわけではありません。番組のオーディションに、出会い系サイトで知り合った、ある有名人とメール上で付き合っている男性が来たらしいのですが、それについてのコメントをしたわけです。

 出会い系サイトに、有名人がいてもおかしくはありません。いる可能性はまったくなくはないです。しかし、メール上で付き合っていると思い込む心情はどんなものなのでしょうか?
 最初は、出会いのシチュエーションが気になったのですが、それがなんとリアリティがあるのです。某AV女優さんで、ビデオの企画として出会い系で素人男性と知り合ってデートする、という設定なのです。たしかに、アダルトビデオでは、素人男性と本番する企画はまれにあります。そういえば、長野県出身で、謎の死を遂げた桃井望さんも「宅配ソープ嬢」という企画で、素人男性と出演していました。ただ、その設定した企画とは別に「会いたい」と言い出してきたというのです。それに、メールでは仕事上の悩みを打ち明けるというのです。しかもその悩みは、その女優さんの近況をよく反映している内容なのです。だから、真実味を帯びている内容です。
 しかし、私は、これを「サクラ」ではないか、と思います。有名人だからというのではありません。メールのやりとりからそう思ったのです。というのは、「会いましょう」との約束をしたときに、場所を指定したにもかかわらず、「場所がわからない」「今日はこのまま帰ります」などのメールをしていることです。このようなやりとりは、よく「サクラ」が使う手口だからです。よく考えて見ましょう。場所がわからないはずはありません。男性も、「サクラ」とまでは思わなかったが、だまされたと感じたのか、「もうやめましょう」とのメールを出す。その返事には「好き」との文字。明らかに、有料サイトの客としてつなぎとめる作戦です。
 ただ、男性は「文字」を信用しています。あげくのはてに「結婚」を考えているようです。しかし、結婚を考える相手ならなおさら、どうしてプライベートの連絡先を教えないのでしょうか。なぜ、一回のメール交換に500円もかかるサイトを経由するのでしょうか。どう考えても「サクラ」だと思うのです。しかも、なりすましているAV女優のファンか、周辺の人物、AV業界の関係者なのかもしれません。
 そんなコメントをしたわけです。どうやら、私のインタビューの後に、その女優さんにもインタビューをするという。おそらく、女優さんは「私ではありません」と答えるでしょう。しかし、それを見ても、男性は「あれは隠しているやりとりだから」とか「照れ隠しです」とか思うのかもしれません。
 たしかに、出会い系サイトでもよい出会いはあるものです。しかし、本当に恋愛感情がわいたのなら、有料サイトを通じていつまでもやりとりするでしょうか。みなさんも、だまされないようにしましょう。ただ、出会い系サイトがすべて危険というわけではありません。結局は、インターネットのリテラシーがポイントだと思います。自信がない場合は、はまる前に避けた方がいいですね(特に男性は)。

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2004.03.26

リストカット 報道番組に協力して

 3月13日。東海テレビの報道番組「報道原人」で、特集「リストカット 死にたいんじゃない」がオンエアされました。この番組に、私は取材協力をしました。またインタビューを受けました。

 これは、東海3県のローカル番組で、キャスターは、大谷昭宏(ジャーナリスト)と局の女子アナが務めるものです。特集は、一人のリストカッター(女性)のインタビューから始まりました。「生きるためにリストカットしています」とのコメントがありました。彼女は、自己確認のためにしているようです。また、彼女の母親も登場。これまではなかなか理解できなかったが、最近では、徐々に理解しようと示している態度がみられました。

 彼女の言葉を取り上げると、
 「リストカットをすると、ほっとする」
 「死にたいからじゃなくて、生きたいから」
 「誰か、私のことを大切だと言ってくれませんか」
 「なぜ、言いたいことを分かってくれないのか。怒ってばかりいるのか」
 「できればやめたい。他に手段があるのなら。逃げとかじゃなく、がんばるため」

 母親は、
 「ショックでした。どうしてそんなことするんだろう」
 「理想の子ども象を求め過ぎていたのかもしれない」
 現在は否定も肯定もしない態度だ。

 さて、私のオフ会の場面。自己紹介をし、飲み食いをしている姿が映し出されました。普通のオフ会の様子です。
 「昨日も手首を切りました」
 「もやもやとすると切ってしまう」
 「親との関係がぎくしゃくしている」
 などの話が出てきました。

 私のコメントは、2つ取り上げられました。
 「自分の体を傷つけることで相手に存在を示す。感情表出をしたり、悩みを言えなかったりすると自分で表現しないといけなくなる」
 「インターネットやオフ会は、自分の内面や感情を整理し、解消していくことができる。その一方で、自傷というキーワードの中でしかコミュニケーションができなくなる可能性も」

  参加者のインタビューは、
 「日常は世間的なものに合わせるもの。自分らしさは出せない」
 「一人っ子なので、親の言うことは絶対だった」
 「お母さんが私の扱いに困っている」

 大谷のコメント
 「わかったふりはしないほうがいい。無理にわかろうとしないほうがいい」 

 東海女子大の調査 リストカット経験 13人に1人
          親からの否定・支配
          自己否定・存在価値のなさ

 同大の長谷川博一教授 「原因は親からの存在否定、おしつけ。いい子が多い」
            「切っても痛くない。乖離しているので、痛みを切り離す」
            「一番分かってほしい相手はお母さん、母と娘のテーマです」

 大谷
 「そこにコミュニケーションがなかった、ということは確かですね。とにかく、コミュニケーションを続けていくしかない」

 番組をみて思ったことだが、家族からの支配→自己否定→リストカット、という構図が示されたが、これは単純化しすぎ。親からの支配が強くても、リストカットしない人の方が大半だろうと思われるからだ。そのため、背景の説明にはなったとしても、それは背景の全部ではなく、一部だ。なぜ、「切るのか?」の答えではない。家族問題に集約しすぎるのが、このテーマでは多いが、たしかにそれもあるだろうが、やはり、なぜ切るのか?の答えではない。
 自己否定感からリストカットという手段を選ぶまでに、いくつかの壁があるはずだと思っている。その心理的プロセスをどう説明していくのか。するべきなのか。こういう問題は伝えるのは難しい。

 また、「母と娘」というテーマ設定も、古典的すぎるかな?と思う。というのも、男性のリストカット経験者については無視されたように思える。拙著「ネット心中」でも触れたが、「見られる身体」を、どのように表現していくのか。という視点が、自傷行為を考えるうえで必要だと思う。ならば、90年代以降、男性も「見られる身体」としての意識が強くなり、男性の自傷行為経験者が増えるのも、この点を考えれば、単に、「母と娘」という限定された問題ではないことが納得がいくはずだ。 

 とはいっても、ローカル番組で、しかも15分枠で放映するには、限度がある。リストカットが、即、自殺未遂ではない、ということを示せた意味では、評価はできるのだろう。

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